木戸寛孝共同事務局長就任挨拶

◎木戸寛孝共同事務局長就任挨拶

木戸寛孝と申します。こ度、4月25日をもって、「

医療共同事務局長を海野信也先生と共に務めさせて頂くことになりました。何卒、よろしくお願い致します。

私は、実は医療業界に関して全く素人であり、全く実績を持たない人間です。仕事は国際NGO職員として、国連改革および国際条約に関して政府および国際機関に対してビー活動等をして参りました。「医療最初接点は、墨東病院女性医師方が私主催する勉強に参加頂いており、彼女を通して医療現場厳しい状況を知ることとなりました。それを機に、様々な医療改革をテーマとするシンポジウムなどに一市立場から参加させて頂く機を持ちました。率直な感想としては、医療という社には絶対に欠かせない、いやそ分野崩壊は社崩壊を意味するにも関わらず惨憺たる状況であることに驚かされました。私はありがたいことに現在健康な体に恵まれていますが、生まれた時は逆子未熟児で、斜頸だったため間もなく手術を受けました。首元に未だに傷跡がありますが、今こうしてあるもお医者様お陰です。また、小学生低学年まで小児喘息で、国が認定する重症患者でもあり、毎週、無料で病院通いをしていました。しかし現在、産婦人科も小児科も医師不足で崩壊状態と聞きます。

こうした中で、医療に関してまったく未熟者である私が、少しでもお役に立てることはないもかと相談したところ、「医療」という団体が立ち上がるということをお聞きし、事務局皆さんを紹介して頂くことになりました。そうした経緯中で、趣意書を書かせて頂く運びとなり、お題として、たまたま自分六代前先祖が長州藩リーダー・木戸孝允ということもあるで、医療業界における維新"医療維新"みたいなテーマで書いて欲しいとリクエストがありました。もともと木戸孝允は、武士出ではなく、医者息子であり、たまたま隣近所武士家に跡継ぎがなかったために養子に行った家系ということで、これも何か因縁だと感じました。

趣意書を書くにあたりお医者さんや患者さん皆様からヒアリングさせて頂く中で、今求められていることは、医療業界におけるステークホルダーが様々な利害関係を越えて『協働』して問題に取り組むことが大切ではないかと実感し、ような一文を趣意書に書き入れました。「危機的な状況を乗り越えていくには、明治維新における薩長同盟ように、これまで反目しあってきた者同士が大儀ために互いに協力し合うことが重要です。医師と患者、行政と市大学病院と開業医など、既存常識や枠組みにとらわれずに、難題に協働して取り組むことが求められており、それにより医療における"新たなビジョン"を創り出していく必要があります。いつまでも古い世界観に固執し、バラバラで、権益に縛られた自分本位な世界観から抜け出せないであれば、現在生じている深刻な問題を根本的かつ具体的に解決することは難しいといえるでしょう。」そため、名称も「医療維新」という変革や闘いをイメージする言葉ではなく、同じを持って集まった人々が協働して問題
解決に取り組むという意味合いで「医療と名付けることとなりました。

4月11日シンポジウム当日は、ブース展示場運営を任され、場設置や参加者導線確保に努めましたが、最後に行われた記者様子を横で見ていて、私は医療に関しては素人ですが、自分も本発展ために多少なりともお役に立てるかもしれないとも感じました。とりわけ今回を一から準備に奔走された医学生皆さん無私情熱に感動し、また海野事務局長をはじめ、事務局スタッフから力を貸して欲しいと依頼を受け、共同事務局長就任を引き受けることになった次第です。私としては本に関わる皆様方から、医療に関する様々な情報や経験値ご指導を賜りながら、一方でこれまで医療業界に携わっていなかった経験を逆手にとって既存常識にとらわれない新しい切り口でプロジェクトを創造することで、本発展に寄与して参りたいと思いますで、未熟者ではありますが何卒よろしくお願い致します。


医療 共同事務局長
木戸 寛孝

【経歴】
世界連邦 21 世紀フォーラム代表

1969 年生まれ。慶応大学法学部卒後、(株)電通に入社。
電通を退社後、 1999 年 10 月から 2003 年 3 月まで千葉県香取市で農業に従事。
2003 年 11 月から、国連認定NGO世界連邦運動協(本部N.Y) 日本ブランチ事務局次長として、
2002 年オランダ・ハーグに常設された国際刑事裁判所( ICC) に日本政府が加盟するためロビー活動を行う。
ICC議員連盟事務局も任される。2007 年 10 月 1 日、日本政府は ICC に加盟。
2009年 2月より、 世界連邦 21 世紀フォーラムという支部を組織内に立ち上げ、国連改革を軸とする政策提言チームを設立。
木戸孝允直系6代目。先祖に、日露戦争で活躍した児玉源太郎、最後内大臣・木戸幸一をもつ。
ライフワークとして日本古来より伝わる「コトタマ学」研究に取り組む。
サハラ砂漠を横断する1992パリ・ダカール・ラリーに参戦。アフリカ最高峰キリマンジャロ登頂。